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牛さんブログ その4

じらしていたら 私自身がムズムズしてきました
出かかった屁を我慢しているような感じです
だもんで、一気に出しちゃいます
  
ブッブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ・・・・ブッ! 
  
よしっ!
 
 
つづき…
  
ですがそうしていても やはり同級生に知られてしまいました
それから私の悪夢が始まりました
母親が批判を受けているとき私は傍らに寄り添い、何度も何度もひどいののしりを受け
学校に行けば行ったで 男の子も女の子も関係なく、機嫌が悪いと私を殴りました
ある時は私の周りに人だかりができ、順番に私を殴るのでした
私ができることと言えば壁の角にうずくまり、頭を守ることだけで
殴り返しも口答えもしませんでした
後年、「なんで殴り返さなかったの」と聞く人もいました
わたしは「殴り返さなければ殴られる数も少なくて済むし、もし殴り返したなら
それこそずっと殴られ続けるに違いないよ」と答えてました
  
ですが私もずっと殴られ続けるわけにはいきません
戦っても勝てないので、方法を考えざるをえませんでした
仲間になり、そして他人を動かす方法を…
私は母親から1、2毛のお金をもらって みんなで一緒に使いました
その結果、みんな私の話を聞くようになり、さらにしばらくすると 私が何々をしろと言うとその通りにし、誰々を殴れと言うとその通りに殴るようになりました
そしてわたしはだんだんとガキ大将になり、けっこう有名になりました
「金を集めると人が離れ、金を使うと人が集まる(財集人散、財散人集)」
この理念を持ったのはいつからですかと聞かれたら、きっとこの頃にちがいないと答えます
もちろん、その当時はこのようなきちんとした理念を持っていたわけではなく
ぼんやりと芽生えた程度でした
    
私が14歳の時、養母は他界しました
20歳になる前に養父も亡くなりました
取り残された私は飢えに苦しみ、寒さに凍え、殴られもしました
そして私は政府へ救済を申請しました
もし党の配慮と各界の援助がなかったら 今の私はありません
私の党に対する認識は全部体得して得たもので、学んで得たものではありません
  
養父が死んだ後、私は父の跡を継ぎ、養牛場に入りました
養父は最初から最後までずっと牛を養い、牛乳を送り出して38年
私も牛と関係して今年で28年、父子2世代合わせると牛の事業は66年になります
  
月日は流れ、物や人も過ぎ行き、昔をしのんで、涙あふるる 
(訳者注:↑この表現素敵!)
 
養母が私に言いきかせた2つの言葉は一生忘れることができません
ひとつは「知りたければ ひっくり返せ(逆にしなさい)」
もうひとつは「損は福、得は禍」
    
       11月24日 11:40   牛根生
 
 

終わったよ…
燃えつきたよ…
こんだけの文章が11月24日たった1日分のブログだよ…
 
私のブログとは月とだんご虫…
 

でも  続けます… 
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